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押しボタン式横断歩道、押すか押さないか [日常]

通勤途中に押しボタン式の信号機のついた横断歩道がある。つい先日まで、基本的に押しボタンは押さずに横断していた。横断する道路は、交通量はやや多めだが、早ければ10秒程度、長くても1-2分待てば流れが途切れて、わたることができるレベルの道路だ。通勤は徒歩か自転車であり、自転車の場合は道交法上は車両であり、厳密にいえば歩行者用の押しボタン信号機を使う対象ではないはずだ。
この横断歩道で押しボタンを押さなかったのは、上述の通り微妙な交通量であるため、たった一人の横断のために、押しボタンを押して数台の自動車を止めると、止められた側はちょっとイラつくだろうと思うのと、余分な燃料を消費させ、環境にも良くないと思われたからだ。私がちょっと待てば、運転手のイライラとCO2排出量を少し緩和させられるという思いから、押しボタンを押さずに、車が途切れるのを待っていた。しかし、ある日、ややギリギリのタイミングで横断歩道を渡っていた際に、明らかに私に向かって加速してくる車がいた。途中から走らないとやや危険を感じるタイミングであった。おそらく、信号無視で横断歩道を渡る私に対する警告というか、いやがらせの意図では無いかと思われた。考えてみれば、これも当然の反応だ。私がどんな思いで押しボタンを押さずに横断するのかは、ドライバーに伝わるわけも無く、私は単に赤信号を無視して横断している愚かな歩行者であるから、ドライバーからすればひき殺しても問題無い、危険な歩行者以外の何者でもない。
以前の私であれば、こんな事があっても、自分の考えに基づき、赤信号での横断を続けた様に思うが、私もすっかり年老いて、世の中の流れに従うべきと考えるようになった。というわけで、今はくだんの押しボタンに到着すると、自動車の流れには一切頓着せず、すぐにボタンを押すことにした。押せばすぐに信号が変わるので、私の待ち時間はほとんど無い。私の横断のために、数台の自動車が止まってくれる。私があと数秒待ってからボタンを押せば、しばらく流れが途切れて、一台も止めずに横断できるタイミングであっても、斟酌なく押す。快感だ。これが、何よりもルールを重視する日本のやり方なのだと思う。
TVでは「安心・安全」なる言葉が連日報道される。「安全」は大切である。しかし「安心」は単に主観に基づくメンタルな要素なので、実質的にはほとんど意味が無いし、むしろ弊害があることさえある。ルールを厳守するのは、安全であると同時に安心なのだと思う。この安心を重んじる人々は、ルールを守らない人が許せないのだろう。

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