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悲惨な戦い [腹の立つこと]

大晦日の紅白歌合戦でのDJ OZUMAの演出をめぐるごたごたを見ていて、なぎらけんいちの「悲惨な戦い」とかいう歌を思い出した。

歌の内容は、大相撲中継でのハプニングを歌ったものだ。内容が問題となり、放送禁止になったこともあったような気がする。なにしろ、私が子供の頃の古い話だ。しかし、当時は多くのTV放送が生放送であり、ある意味ハプニングの連続であった。その意味で、ハプニングに対する対応にはかなり神経質になっていたに違いない。いまでは、スポーツ中継以外は、ほとんどが録画で編集されており、そういう意味での危機管理がずさんになっているのかも知れない。件の歌は、相撲取りのまわしが落ちた際に、国技館やNHK、弟子の対応をおもしろおかしく歌ったものだが、そこで歌われているNHKの対応と、今回の紅白での対応は同じであったところが、興味深い。
歌の中で、NHKはまわしの落ちた力士をズームで放送してしまうという失態を犯す。これは、実際のNHKではこんなことは絶対におこらないという前提だからこそ面白いわけだが、今回の紅白ではそれをやってしまったわけだ。逆に言うと、放送している時点では、DJ OZUMAの演出は許容範囲であるとNHKは認識していたことに他ならない。そうでなければ、件の歌の通り、アルバイトのカメラマンを雇っていたことになってしまうだろう。
NHKの看板番組の一つである紅白歌合戦であるから、現場のディレクターもそれなりのベテランで、判断力もあり、決定権も持った人材が担当しているはずである。従って、裸に見えるコスチュームの演出を放送した時点で、NHKに承認された演出という事になろう。そうでないなら、アップで放送せずに、遠くからの映像だけで放送すればよいわけだ。このように、一旦現場レベルで許容しておきながら、後になって視聴者から苦情が来たとたん、不適切な演出であり、その責任は歌手にあるとするとは、完全な責任転嫁である。
たとえば、生中継で街にくりだしてリポートする際も、同様なハプニングは起こりうる。ストリーキングを趣味とする輩が、カメラの前に飛び出すかも知れない。例えば、これをわざわざアップで長時間放送しておいて、苦情が来たら裸で飛び出した輩の責任であると言い逃れするようなものだ。放送してはならない対象が現れたら、その場で対処するのが当然のことなのだ。
さて、実際の紅白ではアップで放送され、我々は少し驚かされた。しかし、大晦日の紅白で、「NHK」が裸を出すわけがない、という簡単な理屈に思い至れば、いくら一見裸に見えても、そんな事はあり得ないとすぐに気が付く。そういう目で画面を見れば、1秒後には単なる裸の絵を描いた衣装であることがわかる。もしくは、ハイビジョン等の高画質の放送を見ていれば、すぐに衣装だと気が付き、驚きすらしなかったかもしれない。おそらく苦情の電話をかけた人間は、写りの悪いTVで見ていて、かつNHKが「紅白で」裸を放送する可能性を否定できないと考えている人間か、衣装であってもふさわしくないと勝手な倫理観を振りかざす人間かであろう。
日本には、謝りの文化がある。先手を打って謝られてしまうと、追求できなくなる。もっともこれは日本に限った事ではなく、世界的にも同様だ。自動車業界での不祥事に典型的に現れている。欠陥車を販売してもそれがトラブルを引き起こす前に、謝って迅速に対応すれば、逆に信頼できる会社として売り上げを伸ばす事になる。逆にひた隠しにした末に発覚すると、もはや手の打ちようが無くなる。NHKも謝ってしまえば気が楽になると思うのだが、どうも親方日の丸的な体質が色濃く残っているのだろう。まあ、絶対につぶれないのだから、仕方がない。


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