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復讐心を利用? [日常]

 モンテクリスト伯が終わった。復讐ものは重いので、当初あまり観る気は無かったのだが、ついつい引き込まれて、結局最後まで観てしまった。復讐ものは、感情移入してしまうと主人公の無念感に同調してしまい、何とかすっきりしたいという気持ちから、目が離せなくなってしまう。
しかし、この歳になってくると、この手の復讐劇には定番のやり方があり、結局どの映画やドラマも同じ手法をとるので、ある意味ワンパターンで、冷静にみられるようにはなる。つまり、物語の冒頭で、何者かの悪意によって、主人公に理不尽な不幸が次々と襲い掛かる。これでもか、これでもかと畳みかけることにより、観ているものはフラストレーションがたまってくる。そして、そこからお決まりの復讐である。復讐がかなうと、観ていてすっきりするわけだ。マカロニウエスタンもそうだし、マッドマックスもそうだし、復讐ものはどれも同じ手法で視聴者を復讐心に同調させる。主人公の立場に自分を置き換えることにより、主人公と同じ復讐心が湧き上がってくるわけだ。多くの場合、その復讐は違法行為である。冒頭の理不尽な不幸が無ければ、決して許す気になれない悪行なのだが、冒頭の理不尽さが半端ないので、その残忍な復讐に嫌悪を感じるどころか、すっきりするという事になる。
 で、ふと最近の政治問題を振り返る。かつて理不尽な不幸に襲われた方々が日本にはいる。その悪意の主も知っている。その理不尽さゆえに、多くの国民が被害者に同調し、そこにあるであろう復讐心を共感する。日本政府にその解決を強く願っても、なかなか解決しない。なかなか進展しない。いらいらが募る。何か超法規的措置で一矢報いることはできないのだろうかと、ついつい思ってしまう。しかし、ちょっと待てよとも思う。そう、復讐ものの映画やドラマと同じ手法なのではないかと、ふと疑念が湧くのだ。理不尽な不幸を解決せずに残せば、国民の総意は復讐に向かいやすい。逆に穏便に解決してしまえば、そのような強い気持ちは消えてしまい、後には友好関係に向かうしかなくなってしまう。これを都合悪いと考える者たちは、決してこの理不尽な不幸を解決しようとはしないのではないだろうか?
 復讐すると、すっきりする。でもそれは架空のお話だからだ。悪人は限りなく悪で、善人には一点の曇りもない。それは空想の世界だから。しかし、現実は違う。悪人にも事情があり、親があり、家族がある。良いことをしたこともある。復讐は次の復讐を呼ぶ。事情を深く知れば、後悔もする。
 などと、モンテクリスト伯を観ながら思った。為政者は、外敵を好む。国民の感情をコントロールしやすいからだ。海外の国の話の場合には冷静にみられるのだが、自国のことになると、ついつい感情的になる。気を付けなければならない。


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