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みんなで渡れば怖くない? [問題提起]

高校の必修科目未履修問題が話題となっているが、規模の大きさから想像すれば、公然の秘密であった可能性が高い。これだけ大規模に不正を行えば、たとえ明るみに出ても、他の高校も同様だからと、言い訳できると思っていたに違いない。まさに、「赤信号みんなで渡れば怖くない」に近い発想ではないだろうか。
曰く、進学校が受験生の事を考えて、とか、気がつかなかったとか、白々しい言い訳が飛び交っているが、教員や教育委員会のモラルはここまで低下したかと、悲しくなる。
さて、彼らを救済するのかどうか。興味深く見守っている。例えばこれが1校だけの不祥事であったなら、さて救済議論は持ち上がっただろうか。文部科学大臣が自らの責任に言及したであろうか。これだけ大規模だからこその、救済論であると考える。要するに、悪いことをするときは、みんなでやれば良いのだ。みんなでやれば、放置できなくなり、何らかの救済措置やお目こぼしが期待できる。こういった事を、高校教師、教育委員会は生徒に教えたかったに違いない。
いやほんと、そうとしか思えない。
学校の先生とは、昔:尊敬されるべき人、ちょっと前:普通の人、とランキングが下がって来たが、現在ではマイナス要因を探すのに苦労しない。いじめに荷担したり、女子生徒にいたずらする男性教員等、学校の先生の人格やモラルは平均以下なのではないかと勘ぐってしまう。いや、社会全体のモラルが低下している可能性も、もちろん否定できないのだが。
私も以前大学に勤務していたので知っているが、ああいった組織の中では、実際に遵守不可能な規則が山のようにあり、ある意味で不正行為が日常化している。規則が実態に即していないのだから、規則改正が先決なのだが、それをやろうとすると多くの時間と労力を要するため、規則はそのままにし、見かけ上規則を遵守しているように見せかける操作を日常的に行っている事が多い。何でもそうであるが、規則とは基本的に人間の善意を前提に構成されているので、その気になればいくらでも不正は可能である。上記のように、致し方なく行う不正に慣れてしまうと、本来あってはならない不正も大きな罪の意識を持たずにできてしまうのかもしれない。
現在、大学を始め多くの公的組織で行われている「改革」は、実はこの規則を実態に即したものに改訂する作業が最も重要な部分であり、それをどこらへんに落とすのかで、すったもんだしていると言えよう。話題となっている高校では、一般市民が実態を聞いたら卒倒しそうな話も結構あるようで、今後ざっくりとメスを入れなければならないのだろうと、想像する。


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