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学歴 [問題提起]

 研究者である私はもちろん無駄なほど高学歴であるが、一人の人間として自分を高く評価しているわけではなく、同様に高学歴な同業者たちを見ても、必ずしも人格者が多いわけではないと感じているので、学歴という物が人間を判断する基準になると思った事は一度もない。もっと言えば、東大大学院を修了した人でも、あまり頭がよくないのではと感じる事もあるし、大学を出ていない方でも、尊敬に値する知性の持ち主を知っている。こんな事は誰でも感じることであり、日本の高学歴社会は、まさに社会的に無駄な投資であると感じていた。
 しかし、最近少し考えが変わってきた。確かに、人間として見た場合の「かしこい」、「かしこくない」と学歴にはほとんど相関がない。しかし概して、大学卒業者の知識は、確かに高校卒業者のそれをはるかに凌駕していると認めざるを得ない。特に、研究の分野で仕事をする我々にとって、基礎的な科学の「言葉」はそのほとんどが大学で学ぶものであり、共通の言語を使えるという意味で、大学での教育は、必須であると感じている。
 ことばの問題は深刻である。アメリカで働く場合、英語が出来ないということは致命的であると言うのは、誰しも想像がつくだろう。もちろん、ある種の能力に秀でていれば、ことばの壁を越えて活躍する事も可能である。しかし、一般の人々にとって、ことばによるコミュニケーションは非常に重要である。科学の世界でも同様で、科学の世界で働くには、科学の言葉を学ぶ必要がある。それはもちろん具体的な科学用語を知っているという事であり、また科学的な物の見方、科学的な考え方ができるということである。
 ともすれば、授業中携帯をいじってばかり、試験はカンニングの技術を駆使してハードルをくぐり抜けるように大学を卒業した強者もいると思うが、それでも何らかの基礎知識は身につけており、その機会を持たなかった者に比べれば、格段の差がつく。
 大学1年の頃、三菱の頭脳集団の方の特別講義を受けた事があり、大学の4年間を必死で勉強するか、遊んで過ごすかで、大学教授並みの知性を身につけるか、一歩も進歩せずに終わるか決まると聞いた。確かにそうも言えるが、大学では一応試験があり、その都度多少なりとも学生は努力してクリアーしていく。この試験というハードルを越えることに意味があると思う。そこで身につけるものは、決して少なくない。これまで、あまり肯定的に大学の教育を考えた事がなかったが、教育の重要さを肌で感じる今日この頃であり、無駄とも思える高学歴を私に与えてくれた親に感謝する次第である。


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harigaya

東大院卒→オウム入信とか,論理的に説明できなくても,
おかしいものは,おかしいと直感で見抜けない,いわば
科学リテラシーが身に付いてないと判断を誤るんですね.

最近は多くの大学で「情報リテラシー」のような科目を
設定しているようですが,知識を収集し,上手に活用す
る方法なんか演習するなど,昔より至れり尽くせりにな
った感がします.
by harigaya (2006-12-06 14:29) 

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