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LANDISK ミラーリングの落とし穴 [腹の立つこと]

私たちの研究グループでは、LANDISK(LAN接続HDD)をファイルサーバーとして使用しています。これを各実験機器の制御PCからアクセスして、実験データを保存します。このサーバーはもちろん、各自のPCからもアクセスできますから、データ整理の際、いちいちUSBメモリー等でデータを運んでくる必要が無くなり、非常に便利です。データの共有も実現します。セキュリティーもしっかりしているので、安心して使用できます。電気もあまり食いません。
もちろんクラッシュ時の安全対策のため、ミラーリング用のドライブを付け、同じ内容が2台のHDDに保存されるようにしておきました。これで完全に安心と思っていたところ、先日とうとうクラッシュが起こりました。システムがエラーを出して止まりました。2年ほど放置状態だったので、あわててマニュアルを探し出し、対処にあたりましたが、これがとんでもないことになりました。
構成はLANDISKとミラーリング用のSATA HDDで、クラッシュしたのは、LANDISK本体の方でした。これは最終タイムスタンプで確認できました。マニュアルによると、無事だった方のHDDを元に再度ミラーリングを構成すれば、復旧すると書いてありました。そこで、マニュアル通りに作業をしたのですが、ある意味当然といえば当然ですが、クラッシュしたHDDにそのまま書き込み作業をやっても成功するはずがありません。作動音を聞いていると、シークを繰り返すのみで、一向に進展する様子がありません。(その時点では気がつかなかったのですが、ミラーリングを再開する前であれば、何とかSATA HDDからデータを取り出す方法が残されていました。しかし、すでに遅し。)エンドレスに繰り返す書き込みエラーを止めるためには、強制電源オフを行うしかありませんでした。その結果、LANDISKのシステムは見事に破壊され、起動不能になりました。
そのとき、初めて気がつきました。SATA HDDのフォーマットは、ミラーリング専用のもので、そのままPCに接続してもファイルを読み出すことはできないのです。つまり、そのHDDの情報を読み出すには、まともなシステムのLANDISKが必須なのです。で、私のLANDISKはご臨終になったので、仕方なくヤマダ電機に走りました。首尾良くLANDISKを見つけましたが、2年の間に300GBのHDDは320GBに変わっていました。それを買って帰り、接続してみたのですが、LANDISKはまともに動きます。(新品だから当然)しかし、SATA-HDDのミラーリングはうまく行きません。容量が違うことが原因です。300GBと320GBの違いにより、ミラーリングが構築できず、エラーになります。さて困りました。ミラーリング用のHDDはミラーリングで接続しないと、なかを読み出す事ができません。システムがまともで、かつ同じ容量のLANDISKが無いと、SATA HDDの内容は読み出せないということがわかりました。
つまり、壊れたLANDISKを修理する以外にデータを復活させる術は無いということです。そこでメーカーに問い合わせましたが、想像通りの回答を得ました。要するに、もはや300GBのHDDが無いので、基本的に修理は保証できないということです。システムの復旧は試みるが、それが不可の場合、手だてはないとの事でした。
まあ、HDDとはクラッシュするもので、LANDISKに保存されていたデータはいずれも、大元のファイルが別のPCにあるものなので、データの復旧は必須ではありません。しかし、数万円の費用を払って、ミラーリングのHDDを接続しておいたのは、いざというときにデータを復旧させるためでした。それがLANDISK本体のシステムが壊れると、復旧の手だてが無いということであるなら、そもそもミラーリングの意味が無いのではないでしょうか。何ともむなしい結果です。
現在は、新たに購入したLANDISKにUSB HDDを接続し、定期的にバックアップを行うシステムに変更して運営しています。これなら、いつLANDISKがクラッシュしても、簡単にUSBドライブからバックアップファイルを読み込めます。問題は、USBドライブがクラッシュした事を知る術が無いということでしょうか。しかし、それでも一切のデータが読み出せないという事態に比べれば相当ましです。
先日のJR東日本のトラブルも予期せぬHDDのトラブルが原因との事でした。くわばら、くわばら。

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赤に向かって加速 [腹の立つこと]

つくば市が「田舎」であることは、以前に記した。
で、田舎であるとどうなるかという典型例に暴走車が挙げられよう。
暴走と言っても、暴走族の事ではない。もちろん、茨城は暴走族のふるさとみたいなところであるが、一目見て暴走族とわかる連中よりも、暴走行為を何とも感じない一般車の方が、ずっと危険である。

目の前に自分の車速に合わない車がいると、追い越さずにはいられない。

別に、ドライバーに確認した訳ではないので、こう感じているかどうかは定かでないが、上記本能の所以としか思えない行為をすることは事実である。地球温暖化の昨今、ハイブリッドカーに代表されるように、環境を考えたドライブが推奨され、広く賛同を得ている。そういった世の中で、赤信号に向かって加速するのは、ばかげた行為であると言わざるを得ない。スポーツカーを購入したばかりで、どうしてもアクセルを踏んでみたくてしょうがないというのなら、まだ気持ちはわからないではないのだが、少なくとも外見はそんな車ではない。私が異常に遅いのならまだしも、流れを維持するために、制限速度+α程度の速度は出すようにしている。で、先方の交差点が赤に変わった場合には、そこへのアプローチは制限速度程度に落とすようにしている。どうせ停止を余儀なくされるわけであるから、急ぐ必要は全くない。このような運転は、郊外では一般的なものである。交差点が50メートルおきにある、渋滞のひどい都心では、もう少しきびきびした走行が求められるが、信号がせいぜい500mおきくらいにしかない地方では、特に問題は生じないはずである。しかるに、交差点に向かって減速をはじめると、ある程度の頻度で、私の車を追い越していく車がいるのである。もちろん、信号を無視してまで突き進む勇気は無いらしく、追い越すとすぐに減速して、信号待ちをする事になる。賢明な方ならおわかりだろうが、先に交差点に到着した車は、停止するしかない。青になると、ゼロ発進であるから、どうしてももたつく。一方、こちらは無理に追い越されたせいで、危険回避のためさらに減速する事が多く、そのため交差点到着が遅れ、その結果停止しないうちに青に変わることも多い。こうなると、再加速はこちらの方がずっと速い。どう考えても、赤信号に向かった加速は割に合わないと思うのだが、これが少なくないのだ。
こういった、一見愚かな行為の根源がどこにあるかと言えば、想像されるのが、自動車の急増に対するストレスであろう。かつて、この地域は人口密度が極端に少なく、信号機のまばらな広い道路を100km/hで走行できた時代がある。それが、最近の急激な交通量増加で、ストレスを感じているのではないだろうか。目の前にいる車を排除するためなら、少しくらいガソリンを多く使ってもかまわないというわけだ。こういった排他的な雰囲気は、この町からひしひしと伝わってくる。

つづく?


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聞いてないよ [腹の立つこと]

一度どこかで書いたかも知れないが

私は「ド」の付く近眼である。しかも、かなり子供の頃からであり、学校の視力検査で目を細めてはいけないと言われてからは、視力表の目の前で「上」とか「下」とか言っていた。これも毎年行われる楽しい行事であり、視力の悪さを自慢していたほどである。
ある眼科医によれば、現代人の生活は近い物を見る機会がほとんどで、本来遠くを見る必要性があまり無い。従って、近視というのは決して悪い状態ではない。必要に応じて矯正すれば、近視である事の方がむしろ好ましいくらいらしい。
こういった経験や意見で、私の近視を気に病むことはほとんど無かったのだが、ある時突然引導を渡された。
中性子を使った実験を行うと申告すると、健康診断に眼底検査が付いてくるようになる。実際には中性子の実験など滅多にやらないので、検査の必要は無いのだが、いろいろな都合で登録をしていた時期がある。その期間は毎年眼底検査を受けることになった。そこで、はじめて大学病院の眼科医に脅された。「かなり網膜がやばい状態なので、過激な運動は避けて下さい」 びびったが、仕方がない、それ以来外国でスキーをやるのをやめた。しかし、その時はまだ近視との関係は聞かされていなかった。
驚くべき話を聞いたのは、それからさらに数年経ってからの事である。定期検診の医者に脅された時、最低でも年に一回は眼底検査をうけて、経過を観察して下さいと言われたので、中性子実験の登録をはずした後数年経って、気になって近くの眼科医に眼底検査を依頼した。その眼科医が言うには、「近視が進行したために、網膜がはがれかかっている」のだという。えー、聞いてないよ、という感じである。
近視は近視で、失明とは無縁だと思っていたのだが、どうも近視が進行すると網膜が引きつって、はがれやすくなり、しまいには失明に至る危険性があるということだった。そうと知っていれば、近視を自慢するなどという馬鹿な事はせずに、近視が進行しないように自分で努力をしたものを...今頃になって言われても、後の祭りである。

似たような事は「歯」にもある。私は目も悪いが、歯も悪い。子供の頃から歯医者にはずいぶん貢いだが、昔の歯医者はすぐに神経を抜きたがった。神経を抜けば、もう痛くならないという。馬鹿な私の親は良いように言いくるめられて、私の歯の神経を抜きまくった。神経を抜けばどうなるのかと言うことは考えなかったのだろう。答えは簡単だ。歯が死ぬのである。
歯は、歯茎に刺さっている石ではない。ちゃんと生きており、必要に応じて再生も行う。しかし、神経を抜いてしまうと、その歯は死んでしまい、要するに人体にとって異物となるのだ。私の勘定では、神経を抜いて、約20年でその歯は使い物にならなくなる。私の場合、どれも根の奥が炎症を起こして、抜歯を余儀なくされた。放置すればあごの骨の神経組織にダメージを与えて、大手術になる。
歯の移植を提案してくれた口腔外科医も居たが、結局うまく行かなかった。私の歯は少しずつ少なくなり、そのうち総入れ歯になるのかと覚悟していた。だから、多少痛みがあっても今ある歯を何とか使って、少しでも長持ちさせようと思っていた。しかし、先日、とうとうぼろぼろになった奥歯を歯科医に見つけられてしまい、抜くしかないと宣告された。これでとうとう奥歯がほとんど無くなってしまうのかと悲しくなったのだが、その歯科医は淡々と「インプラントでも入れますかね。」と言い出した。
抜歯した後にインプラントを入れれば、歯が復活するなんて、聞いてないよー。これはうれしい誤算だった。そんな手があると知っていれば、こんなに我慢せずにさっさと医者に行ったものを。というわけで、先日インプラントの手術を受けた。ところが、実際に歯が入るのは半年後だという。それまでは、やっぱり歯抜けのじいさんだ。しかも、長いことぼろぼろの歯を入れたままにしていたため、あごの骨にかなりのダメージが入ってしまい、その再生にも時間がかかりそうな気配である。

とまあ、これまでいくつか聞いてないよーと言いたくなる話があった。我々は素人だから、単に医学の進歩なのかも知れない。しかし、私から見れば、医者はいい加減だということになる。母乳を毛嫌いして人工乳を推薦してみたり、母乳のすばらしさを再度訴えたり、いい加減きわまりない。少しまじめに考えて物を言えと言いたい。被害はいつも患者がかぶるのだ。


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悲惨な戦い [腹の立つこと]

大晦日の紅白歌合戦でのDJ OZUMAの演出をめぐるごたごたを見ていて、なぎらけんいちの「悲惨な戦い」とかいう歌を思い出した。

歌の内容は、大相撲中継でのハプニングを歌ったものだ。内容が問題となり、放送禁止になったこともあったような気がする。なにしろ、私が子供の頃の古い話だ。しかし、当時は多くのTV放送が生放送であり、ある意味ハプニングの連続であった。その意味で、ハプニングに対する対応にはかなり神経質になっていたに違いない。いまでは、スポーツ中継以外は、ほとんどが録画で編集されており、そういう意味での危機管理がずさんになっているのかも知れない。件の歌は、相撲取りのまわしが落ちた際に、国技館やNHK、弟子の対応をおもしろおかしく歌ったものだが、そこで歌われているNHKの対応と、今回の紅白での対応は同じであったところが、興味深い。
歌の中で、NHKはまわしの落ちた力士をズームで放送してしまうという失態を犯す。これは、実際のNHKではこんなことは絶対におこらないという前提だからこそ面白いわけだが、今回の紅白ではそれをやってしまったわけだ。逆に言うと、放送している時点では、DJ OZUMAの演出は許容範囲であるとNHKは認識していたことに他ならない。そうでなければ、件の歌の通り、アルバイトのカメラマンを雇っていたことになってしまうだろう。
NHKの看板番組の一つである紅白歌合戦であるから、現場のディレクターもそれなりのベテランで、判断力もあり、決定権も持った人材が担当しているはずである。従って、裸に見えるコスチュームの演出を放送した時点で、NHKに承認された演出という事になろう。そうでないなら、アップで放送せずに、遠くからの映像だけで放送すればよいわけだ。このように、一旦現場レベルで許容しておきながら、後になって視聴者から苦情が来たとたん、不適切な演出であり、その責任は歌手にあるとするとは、完全な責任転嫁である。
たとえば、生中継で街にくりだしてリポートする際も、同様なハプニングは起こりうる。ストリーキングを趣味とする輩が、カメラの前に飛び出すかも知れない。例えば、これをわざわざアップで長時間放送しておいて、苦情が来たら裸で飛び出した輩の責任であると言い逃れするようなものだ。放送してはならない対象が現れたら、その場で対処するのが当然のことなのだ。
さて、実際の紅白ではアップで放送され、我々は少し驚かされた。しかし、大晦日の紅白で、「NHK」が裸を出すわけがない、という簡単な理屈に思い至れば、いくら一見裸に見えても、そんな事はあり得ないとすぐに気が付く。そういう目で画面を見れば、1秒後には単なる裸の絵を描いた衣装であることがわかる。もしくは、ハイビジョン等の高画質の放送を見ていれば、すぐに衣装だと気が付き、驚きすらしなかったかもしれない。おそらく苦情の電話をかけた人間は、写りの悪いTVで見ていて、かつNHKが「紅白で」裸を放送する可能性を否定できないと考えている人間か、衣装であってもふさわしくないと勝手な倫理観を振りかざす人間かであろう。
日本には、謝りの文化がある。先手を打って謝られてしまうと、追求できなくなる。もっともこれは日本に限った事ではなく、世界的にも同様だ。自動車業界での不祥事に典型的に現れている。欠陥車を販売してもそれがトラブルを引き起こす前に、謝って迅速に対応すれば、逆に信頼できる会社として売り上げを伸ばす事になる。逆にひた隠しにした末に発覚すると、もはや手の打ちようが無くなる。NHKも謝ってしまえば気が楽になると思うのだが、どうも親方日の丸的な体質が色濃く残っているのだろう。まあ、絶対につぶれないのだから、仕方がない。


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少子化 [腹の立つこと]

政府や地方自治体は少子化対策を本気でやる気があるのか、疑問に思ってしまう。実際には日本の人口を急速にかつアンバランスに減少させる気でいるのではないかと、疑ってしまうほどである。
こんな疑問は、共働きで子供を持ってみれば、誰でもすぐに体験できる。
まず、出産で喜ぶ。これはあたりまえの事だが、育児休業制度の不徹底で、すぐに問題が生じてくる。ある程度の人がここで職を守れるかどうか、困難を経験する。育児休業を確保できても、育児休業開けに子供を預ける保育園に空きが無く、路頭に迷うことになる。これはかなり深刻な問題で、かなりの人がこの経験をされていると思う。ここで無事に保育園を確保してほっとしても、それで問題が終わったわけではない。小学校に入学して、学童保育でまた困ることになる。まさに地方でさえ物騒になったこの頃、低学年の子供だけでほったらかしにはできない。しかし、学童保育の普及は極めて低い。「誰か」職を持たない知人の世話になるしかなくなってしまう。
こういったことを、第一子で次々経験すると、二人目の子供を産む勇気は失われて行くのは当然のことである。一人目は、うまく行っても二人目で職を失うかもしれない。子育ての時期は、一旦仕事をやめて、後で再就職すれば良いなどという提案は、アホの戯言でしかない。
簡単に試算するに、こういった不具合を改善するのにかかる予算は大した額ではない。世の中で毎日無駄に使われている数々の予算のほんの一部を充てるだけで、大きく改善すると思われる。
人口が減少するというのは、何にも増した経済的マイナス要因であり、国力の低下に直結する。政府が本腰を入れて取り組むべき課題であるのに、素人でさえ考えつく対策が成されるどころか、むしろ年々悪化しているという実状を見ると、開いた口がふさがらないと言ったところである。
小中学校での予算も極めて不足している。こんな予算でよく教育できるなあと関心するとともに、こんな状態では教育レベルの改善などあり得ないとも実感する。子供を甘やかす事には反対だが、子供を大切にする必要はある。これは親の愛情云々の問題ではなく、国策としての問題である。
新内閣の少子化対策担当大臣が、少しは常識を持っている事、役立たずで狂った役人どもを排除する事を願うばかりである。


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腹の立つつくば市 [腹の立つこと]

下水道料金が一気に2倍程度に値上げだ。理由は定かでない。いずれにしても、ばかげて高い。
児童館における学童保育が今年度から有料化された。しかし、支払い方法がまだ確立していない。そこで、当面毎月銀行で振り込んでくれという。数千円の料金を支払うために、毎月勤務時間に銀行に行かなければならない。市役所に行き、まとめて払いたい旨を伝えたところ、利用後でなければ、受け入れられないという。なるほど、もっともだ。それなら、年度末に一括支払いにしろ。なぜ、毎月毎月銀行にいかなければならない。しかも、遅れると延滞料をとるという。だいたい毎月請求書を入れる封筒が、普通の市の封筒であり、それを再利用しろという。集金袋くらいちゃんと印刷しろ。わかりにくくて仕方がない。
いずれにしても、つくば市は次々と市民に金銭的負担を要求している。その一方で、それをきちんとオーガナイズできないという、田舎くささがある。要するに、自分たちの事ばかり考えていて、視線が市民に向いていない。TXの開通で都市化が始まり、大幅な予算増が必要なのだろうが、前市長のこしらえた借金で首がまわらないといったところか。現市長にも能力が無いのだろう。
八王子からつくばに来て、全てのサービスが悪化した。非常に住みにくい。最悪な事に、住人も、行政も、学校も、商店も、専業主婦の存在を前提にしている。何と、学童保育の運営までそうだ。そもそも専業主婦なら学童保育など頼まない。毎日学童保育等で一緒に居る時間が少ないから、週末は一緒に過ごしたい。ところが、週末にいろいろ行事を押しつけてくる。強制的に何かに参加協力しろと言う。なぜ、学童保育でそこまでイベントをやるのかと思ったら、2年前にゲーム機の持ち込みを禁止した事が原因らしい。ゲーム機を禁止したため、子供たちが手持ちぶさたになり、暇をもてあますようになった。禁止した責任上、変わりの娯楽を提供しなければならないと思っているらしい。いかれている。子供は放っておいても、ちゃんと遊ぶ。親が段取りしないと遊べない子供は、親に問題があるのでは無いだろうか。
などと、不平不満たらたらだが、子供たちは楽しそうに過ごしている。まあ、それならそれで良いかとも思う。
それにしても、吾妻中学校の二枚舌、気に入らない。いつか噛みついてやる。あの校長も。


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